October 2010
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588 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2010/10/27(水) 21:56:44 ID:X3YsrWRu
数年前、子供が通園していた幼稚園での話
PTAが各家庭から集めた古新聞を廃品回収に出してその代価をPTA会費の足しにしていた
あるとき回収業者のトラックが渋滞のため指定の時間より少し遅れてきた
母親たちが噛み付いた
いわく
「遅れるなら連絡してよ!携帯で連絡できるでしょ!」
「子供が園庭で遊ぶ時間なのに(指定時間以外に来たら)危ないでしょ!」
20人近い母親が業者に詰め寄って、その2点をヒステリックに叫びまくってた
代表して誰かが質問するとかじゃなくて口々にギャンギャン吼える
(それって運転中に携帯で連絡しろってことか
渋滞の列から抜けて一旦止めて電話したらさらに時間かかるじゃん
渋滞だからおおよその到着時刻は予想できてもあくまでも予想
園庭に乗り入れなければ搬出できないので軽トラが入ってくるけど
いきなり突入してくるわけじゃなし合図して門扉を開けて最徐行して入ってくるんだから
自分の子供をしっかり押さえつけておけばいいだけの話じゃん)
という疑問が湧いてきてちょっとその群れから離れて観察してるうち
だんだんその狂気じみた、目が血走った母親の群れが怖くなって
それまで普通にお付き合いしてたんだけど
いろんなお誘いをやんわりをかわすようになった
いまでもあの集団ヒステリーの光景を思い出すと怖い
ちなみにつるし上げられてた業者さんは
「大変申し訳ない。ではお付き合いはこれっきりということで」と怒りの表情で慇懃に挨拶していった。
そして次回からの回収は断られたらしい。
“462 名前:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/02(木) 15:14:38 ID:0bm9r0i40
昔、基礎屋で働いてたときの話なんだけど聞いてくれ
真冬に、吹きっ晒しの現場で震えながら基礎やってたんだが
毎日、施主さんの奥さんが、幼いお子さんを自転車の
後ろに乗せて、必死で漕いで現場にきて
人数分の温かい缶コーヒーを「ごくろうさまです」
と渡してくれる、そんな現場があったんだよ
ある日、作業してたら雪が降ってきて、こりゃー今日は
もう無理だなって思ってたら、親方がこう言ったんだよ
「この雪でも奥さんは絶対くる、だからそれまで待とう」って
で、傘さして待ってたら、奥さん本当に来たんだよな
降りしきる雪の中、白い息を吐きながら、ほっぺた真っ赤にして
必死で自転車漕いで、現場まで来てくれた
思わず奥さんに向かって手を振ってしまった
横を見たら親方も手を振ってた
あの缶コーヒーの味は絶対忘れない
あの家の基礎は、奥さんがもってきてくれた缶コーヒーみたいに
冬でも暖かくなるよう、心をこめて仕上げました
いつまでもあの家で、お元気で暮らしてください” —コピペ新聞 - 缶コーヒー (via highlandvalley)
昔、基礎屋で働いてたときの話なんだけど聞いてくれ
真冬に、吹きっ晒しの現場で震えながら基礎やってたんだが
毎日、施主さんの奥さんが、幼いお子さんを自転車の
後ろに乗せて、必死で漕いで現場にきて
人数分の温かい缶コーヒーを「ごくろうさまです」
と渡してくれる、そんな現場があったんだよ
ある日、作業してたら雪が降ってきて、こりゃー今日は
もう無理だなって思ってたら、親方がこう言ったんだよ
「この雪でも奥さんは絶対くる、だからそれまで待とう」って
で、傘さして待ってたら、奥さん本当に来たんだよな
降りしきる雪の中、白い息を吐きながら、ほっぺた真っ赤にして
必死で自転車漕いで、現場まで来てくれた
思わず奥さんに向かって手を振ってしまった
横を見たら親方も手を振ってた
あの缶コーヒーの味は絶対忘れない
あの家の基礎は、奥さんがもってきてくれた缶コーヒーみたいに
冬でも暖かくなるよう、心をこめて仕上げました
いつまでもあの家で、お元気で暮らしてください” —コピペ新聞 - 缶コーヒー (via highlandvalley)
“さて、「シクラメンのかほり」に話を戻そう。「かほり」という表記が歴史的に間違いであり、加えてこの花が「かほり」もしないことを長年指摘されて来たの
に、何故小椋佳はこの題名を一向に直そうとしないのだろうか。それがこの歌の謎なのである。私もどこかでこの題名の謎を知って、それ以来何となく気になっ
ていた。
それがある日、謎が一気に解けたのは、ネット上で小椋桂の奥さんの名前を偶然に知った時だった。何と、佳穂里さんというではないか。佳穂里なら、発音は 「かおり」でも表記上では「かほり」だ。その瞬間、旧かなの間違いを指摘されても小椋桂は「極めて意図的に」これを直さないのだ、ということが分かった。
そう思って、再度「シクラメンのかほり」の歌詞を読み返してみて驚いた。名詞で「シクラメンのかほり」とは言っても、動詞で「シクラメンが香る」とはど こにも言っていないのである。1番に「真綿色したシクラメンほど清しいものはない」2番に「うす紅色のシクラメンほどまぶしいものはない」そして3番に 「うす紫のシクラメンほど淋しいものはない」とあるだけだ。しかもこれらの後にはそれぞれ「出逢いの時の君のようです」「恋する時の君のようです」「後ろ 姿の君のようです」とあって、シクラメンに「君」が見立てられている。つまり、この曲は自分の妻に捧げた愛の讃歌だったのだ。小椋桂にとっては妻の佳穂里 さんは「シクラメンの君」であり、それならばこそ題名は「シクラメンのかほり(=佳穂里)」でなくてはいけなかった。” —2005年11月 - 金谷武洋の『日本語に主語はいらない』 (via tessar)
それがある日、謎が一気に解けたのは、ネット上で小椋桂の奥さんの名前を偶然に知った時だった。何と、佳穂里さんというではないか。佳穂里なら、発音は 「かおり」でも表記上では「かほり」だ。その瞬間、旧かなの間違いを指摘されても小椋桂は「極めて意図的に」これを直さないのだ、ということが分かった。
そう思って、再度「シクラメンのかほり」の歌詞を読み返してみて驚いた。名詞で「シクラメンのかほり」とは言っても、動詞で「シクラメンが香る」とはど こにも言っていないのである。1番に「真綿色したシクラメンほど清しいものはない」2番に「うす紅色のシクラメンほどまぶしいものはない」そして3番に 「うす紫のシクラメンほど淋しいものはない」とあるだけだ。しかもこれらの後にはそれぞれ「出逢いの時の君のようです」「恋する時の君のようです」「後ろ 姿の君のようです」とあって、シクラメンに「君」が見立てられている。つまり、この曲は自分の妻に捧げた愛の讃歌だったのだ。小椋桂にとっては妻の佳穂里 さんは「シクラメンの君」であり、それならばこそ題名は「シクラメンのかほり(=佳穂里)」でなくてはいけなかった。” —2005年11月 - 金谷武洋の『日本語に主語はいらない』 (via tessar)